High on Life

NO BIKE NO LIFE

3月29日月曜自宅療養へ

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ロックスターからの転落

トロンバイクゲットとともにただのおっさん宣言したのが、なんと現実となってしまいました(泣)。まさに写真の通りの転落っぷり。仮想世界ではロックスター温存しつつ、現実世界では一旦ひと月掛けて体の弱体化放置、そしてゼロからの絞り直し鍛え直しってことになりますね。ZWIFT再開の折には皆さんに気付かれないよう、弱そうなアバターに変えておきます。

同年代の頑張り過ぎのアニキ達に少しでも参考になればと顛末を残しておきます。

 

 

火曜夜、微かな腹痛を感じながらも、走ってビール飲んだら治るわと、Watopia_Road to Ruinにコースイン。Epic KOM Reverse-Start to Jungle IntersectionとJungle ClimbでPR更新して終了。その後少しずつ痛みが増していき、寝る前にひょっとしたら?来たか?と悟る。案の定夜中に激痛に起こされ、三度目の虫垂炎到来を認識。三度目ともなるとはっきり分かる。一度目は市販の薬でやり過ごし、二度目もやり過ごそうとして耐えきれず、行き付けのお医者さんからの病院でのCTからの行き付けのお医者さんでの、”放っといて腹膜炎にでもなったら死んでたかもしれませんよ”のくだりを思い出し逡巡。未明に決断が必要だと考え、行き付けのお医者さんのカードを見てお休みであることを知る。あとは前回CTを撮った病院に行くのみだが、行き方にも二通りある。普通に外来で行って散々待たされるパターンと、救急搬送で行くパターン。明らかに後者を選択すべきなのは分かるが、皆さんが起き出した時刻にサイレン鳴らしながら救急車がやってくる状況を想像してしばらく悩む。しかし悩んでも腹の痛みはどんどん酷くなる。

 

意を決して家内に119番通報を依頼。普通に人々が動き出した時間帯になってしまったが、呼んでしまったらもう開き直る。保険証と病院の診察カードを入れた財布と、会社用&個人用iPnone、老眼鏡を家内に託して救急搬送に身を預ける。励まされ、色々聞かれながら直ぐに病院に到着。救急処置室に入って、また色んな人から色々聞かれて色々処置されて、血液検査とCT結果が決定打となって午後手術が決定、担当医からの説明を家内と一緒に聞く。二度目の時にネットで調べていたのでその内容にはビビリもせず。PCR陰性結果が出て病室へ。薄らぐ意識の中で個室を希望したが一杯とのことで4人部屋。窓側だったのが小さなラッキー。(後日歩けるようになってから同フロアに個室が二つ空いているのを知ったが、まぁ虫垂炎くらいじゃ個室の値打ちもねえなと諦める)

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大和路快速

 

手術のため家内の前で看護師さんに陰毛上部を剃って頂きしばし待機(特に言いたい趣旨なし)。時間になって手術室へ。名前と生年月日を間違いなく言えたので手術許可。担当医や補助の先生方や看護師さんらみなで趣味の話しや趣味と関係する筋肉の話などで気持ちを解そうとしてくれる。えらい気を遣ってくれるなと感心したが、実は筋肉が多いと術後大変なんだぜ!えへへ・・・という裏話しが後で家内経由で知らされた(苦笑)。みんな俺の術後を想像して笑ってたんだろっ!

 

酸素マスクがやたらとキツく、それだけで死に至るんじゃないかと焦ったが、全身麻酔が直ぐに効いて次の記憶は病室での家内とのやり取りから。どんなやり取りかは恥ずかしくて書けません><。

 

とにかく、痛い><、それのみ。麻酔から完全に覚めたあとは痛みとの闘いあるのみ。筋肉との関係は家内が帰宅した後のLINEのやり取りで発覚。くっそーそういうことか。普段頑張っていることがこういう時には損をさせる。いい歳になったら皆さんも程々にね(^_−)−☆。点滴に痛み止めを入れていただき、薄らぐ痛みにほっとしながらも、昔の映画やドラマに出てくるモルヒネってまさにこういうことねと、もっと重篤な病気だったらと想像して怖くなった。

 

術後当日は絶食、次の日は水分のみ許された。腹なんか空かないからこのまま1週間でも点滴と水分だけで痩せてしまいたいぜ。って思ったのも束の間、術後2日目のお昼から5分粥解禁で、鳥のササミのムニエルみたいなおかずと共に餓鬼のように平らげた。

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切ないから ”おやつなし” ってわざわざ書くなよ

夕方執刀医が見に来てくれて、”おかゆ全部食ったぁ?!” ”あかんあかん脱腸になるぞっ!”って、何それ???先に言えよっ!鈴木オートやモフモフもふもふの堤真一が外科医になったらこんな感じかと思わせる明るいおっさんは、それ以外にも、”痛いやろぉ” とか、”筋トレしたら脱腸になるぞぉ”とか、やたら脅して帰って行った。ま、きっと大丈夫なんだろうなと思うことにした。

 

ところで、私の主治医、実はこのモフモフもふもふのおっさんではなく、執刀時にはサブだったというスッゲェ可愛らしい女先生でいらして、術後に見に来られた際に看護師かと間違うくらい若くておぼこい印象の人だった。スッゲーな、神は何回いや何万回に一回、天から二物を与えに来るんだろうかと思わず唸ってしまった。新谷選手の10000日本新を強力にアシストしたり名古屋ウィメンズで2位に入った積水化学の佐藤選手似。背丈、髪型、顔の印象がかなり似ていて、綺麗というよりは可愛らしい感じ。女医の凄腕といえばドクターXの大門未知子、あるいはリアルではもっと頑丈な感じのイメージを持つが、本当に可愛らしいとしか言いようがない。あっ、この件にあまり字数を費やすのは止めておきましょう。

 

脱腸の恐怖に怯え、その後は6割食べてあとは断腸の思いで残す。術後三日目の昼からついに常食。その朝おっさんから、”便通があるまでは半分残せよぉ、脱腸になるからな!”と再び脅されていたので、麦ご飯のようで割と美味しいご飯も我慢して残す。確かに便通再開しないと怖いことになりそうなのは理解できる。が、それが脱腸なのかどうかは怪しい話しで、せいぜい上から戻すってぇくらいのことなんじゃないのと毒付きながらも、明るい執刀医で良かったと、素直に感謝した。

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念願の常食

 

術後当日と二日目途中までは点滴に痛み止めが入っていたが、その後は座薬を経て飲み薬に。痛くなったらナースコールを押して薬をもらっていたが、三日目午後から食後3回分を処方してもらい、自分で痛みに合わせて時間調整することに。その方が安心感ある。この日からシャワー解禁。3日ぶりにお湯で体を流して生き返った心持ち。

 

四日目朝、ついに便通有り。これは本来入院日朝に出るはずのものだったろうから極めて普通の便。だからこそ腹に力が入らない(力入れると激痛で悶絶する)今、出すのに苦労した。巡回に来たおっさんに報告したら、”良かったなぁ、でも筋トレはするなよ!” ってあんたしつこいねんっ><。とにかく晴れて今日から完食だぜ。しかし残念なことに、5分粥を初めて口にした時の喜びは大昔のこと。すでに病院食の◯ずさに改めてゲンナリしている今、完食することにもう何の感動も無かった。これも良くも悪くも当たり前のこと。

次に主治医が来てくれたので報告。今日の血液検査に合格したら明日退院可能ですが午前午後どちらにする?と聞かれて、午前と即答。どんなに主治医が可愛らしくても、日曜日に貴女はいない(by ジュジュ西田敏行)。それに入院生活にはそれを上回る不自由さがあるのは現実問題。点滴がなくなり、看護師に頼ることが一つまた一つと減っていく中、自宅で静養することの安定感はとてつもなく魅力的。当たり前のことを批判的に書くつもりもないが、医療以外のことで病院が用意できることには自宅のそれとは諸々大きな落差がある。でも改善できることもあると思うから、アンケートでも送って来てくれたらしっかり真面目に書きますぜ。

 

 

五日目朝、食パン2枚完食して大後悔。普段1時間Zwiftするときでも1枚しか食べないのに。腹がパンパンに張って思わず上から出そうになって踏み止まった。踏み止まらない方が良かったかなぁ・・・。この日の便は入院後のものだから当然ながら、”上善如水”。看護師に報告したら、”良かったねぇ”と褒められた。

歯を磨いて身の回りを整理して、主治医にお願いしていた診断書と外来予約票を待つ。家内が持って来てくれた帰り支度に着替えて今朝の担当看護師に挨拶して仮預かり金の支払いへ。日曜は診療明細が出ないので、仮に幾らか置いて行ってねとのことで、救急受付にて7万円お支払いして車で帰宅。道路の振動は結構響くことも再認識。

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 今朝の傷位置

 

 

アニキ、汚い写真ですいあせん!

腹腔鏡下術のお陰で、昔の”開腹”っていうイメージからは程遠い小ささですが、ガーゼを剥がすと結構グロいです。おへそから下へ3センチくらいの切れ目は今日現在まだくっ付いていないので痛くてグロいです><。下の方の小さい穴状の傷は痛みもそんなに無く見た目も、???な感じ。自宅に戻ってからガーゼを剥がして、皮膚が少しでも美しく蘇生するようにとジェルシートに張り替えました。病院で最初からジェルシートにしてくれないのは何か医学上のあるいは経営上の理由があるのか?入院中服用していた化膿止めの抗生剤、痛み止めはそのまま飲用継続。なくなった時点で痛みが我慢できるくらいになってたら良い回復具合とのこと。帰宅して困るのは、病院にいる時には感じなかった空腹感に苛まれること。人間は我がままで、環境によって忘れるあるいは諦めることができでも、自宅で食べ物が目に入るようになると食欲がどんどん湧いて出てくる。本当に弱いものです。

 

今朝歩いてみました。筋トレはやらないけどウォーキングしますと言うと、”あんまり歩くと脱腸になるぞ” と、おっさんからは脅されていましたが、人間は一日一回、できれば朝に紫外線を全身に浴びた方が良い、という説を信じて。歩くだけで如何に腹筋を使っているかに気付き、脱腸の脅しも嘘ではないなと納得しました。階段を降りたり、少し斜めに歩いたりしたらそれがよく分かります。外に出ると急激な動きを求められる場面は突然やって来ますし、本当に静養しないとと、目の前にはいないモフモフもふもふに注意された気持ちです。

体重は入院前と退院後で全く変化がありませんでした。これは意外でしたが、点滴できっちり水分補給を続けていたことが要因かもしれませんね。5日間運動しなかっただけで体は見た目もボヨボヨしています(泣)。この先、まず筋肉が落ちて、脂肪が残って、ダラーんとした体になって、そこからどんだけ回復できるのか楽しみではあります。

 

 

お世話になった病院は京都府南部の地域医療連携の核となる施設で、とりわけ急性期医療を主軸とした、小さいですが良い病院です。近所の掛り付け医で間に合わない病状の場合、私は精華町に住んでからはこの病院ばかりです。地域医療連携の中核なので京都から良い先生が回ってくるし人の循環もしているよう。循環これ大事!看護師の数・質も個人的見解ですが概ね高い(皆明るく元気)ところにあると思います。患者としては建築的内部をそろそろ最新グレードに更新していただければ尚有り難いところです。その時は是非、ワタシィニシゴトクダサーイッ!

とか言いながら、まだお腹痛いす><。急性期医療に携わるという病院コンセプトに則り、回復路線に乗った貴方は早く出て行ってね、その分自宅でしっかり静養するように、というのも納得するやり方です。言い方を変えれば、あなたからはもう絞り取れないので、とも取れますが(笑)。明快爽やかです。よって、今週一杯自宅静養を命じられ帰って来ました。

 

その他、患者と看護師のやり取りで聞き及んだどうでも良いことや、3日目から私の向かいのベッドに入ったクレーマー患者の家が実は非常に近所であること、歳取るとどうしようもなく自分の体が自分で制御できなくなることなどなど、他人と一緒の病室だったお陰で自分の今後に対しても色んなことを考えさせられる5日間の入院でした。

 

同年代かそれ以上のアニキ達も多い自転車仲間の皆さん、頑張り過ぎた後には必ず休みを入れましょう。仕事にも注意です。メリハリつけてやっていかないと、私みたいに激しい運動やアルコールにストレス発散を期待しているようでは体が持ちません><。発散しているつもりでも、結果は自分の中に居る内臓機関にストレスを肩代わりしてもらっているだけのことでした。

虫垂炎は怖い。今回相当に炎症が酷かったらしく救急搬送にして本当に良かったと思いました。けれど、虫垂というバンパーを取ったら大腸というボディーが丸裸になってしまうと考えられるかもしれません。虫垂が腫れることによって大腸の危機を伝えてくれているのかもしれない。もちろん虫垂炎の先には腹膜炎という結末もあり、それはそれで消しておかないといけないリスクなのですが、大腸というボディーが虫垂というバンパーを失ったのも紛れもない事実です。術後も決して安心できず、手術の影響により別の障害が出ることも稀にあるとも承諾書に書かれていたし。

バンパーが無傷であるということはどういう生活が根拠になっているのか、そこから考え直せれば良かったのですが、もうバンパーを外してしまいました。なので今まで以上にそこを認識して、根本にある生活の仕方を考えていかなければならないと、改めて危機感を感じている次第です。

 

程々に、楽しく健康に自転車乗って生きていくことができれば幸せです。同年代のアニキ達、是非とも幸せな自転車生活を送ってください! それとこういう書き方をして良いかどうか分かりませんが、私と関係のあるアニキ達の中には決して悪人はいないと信じて書きます。迷った時には救急車を呼ぶというのは、弱い側の患者が取れる最良の戦略でしょう。処置台あるいは手術台へ、最短の道程でたどり着けます。

 

皆様、体力回復したらまたよろしくお願いいたしますっ!