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NO BIKE NO LIFE

おきなわとは

今日、ちむどんどんの関連番組で、おきなわの共同売店のドキュメンタリーが再放送された。ドキュメンタリーは2015年の製作放送。おきなわ共同売店の発祥の地、奥共同店と奥集落の深い深いお話し。奇しくも私が初めておきなわに行った年であり、初めてツールドおきなわに出場した年でもある。あの年は、夏と秋2回も行ったワケであるが、いずれも北部が活動地域であり、とりわけツールへの出場がなければ、最北の果て、奥になんて行くこともなかったろう。

那覇や南部出身の方とお話しすると決まって驚くのが、北部に関する知識の薄さ。そしておきなわにも二つのおきなわがあるということ。別にちむどんどんのストーリーがそんなに面白い訳ではないし、黒島結菜がタイプな訳でもない。ただ、あの訛りが私たちが忘れている人間の優しさを思い起こさせてくれるのである。

私にとってのおきなわとは、那覇や南部の観光地ではなく、山原(ヤンバル)の最北端から名護にかけての村落と、何しろそこに住む人々の思い出である。奥、大宜味、奥間、安田、東村、有銘などなど。どんなに顔が怖くても、いくら建物が古臭くても、人が優しく、飯が美味いのが北部のおきなわ。私がおきなわの優しさを知ったのはまさにツールのおかげ。だから、おきなわの土地と人が両方揃って、私の好きなおきなわなのである。

共同売店の発足趣旨そのものが、おきなわの厳しく苦しい歴史と人間の強さと優しさを物語っている。しかし徐々に共同売店が減って、本土からのコンビニ進出が止まらない。行くたびにコンビニの波は北部にじわじわと広がっている。共同売店の運営そのものが立ち行かなくなるほど人が減っているのかもしれないし、そもそもの、共同、ゆいまーる、という理念自体が成立しなくなっているのかもしれない。あるいは、人によって、地域によっては、外貨獲得の旨みを一生の安楽と見間違ってしまったかもしれない。

我々に文句を言う資格はないけれど、コンビニの制服を着た本土のバイトお姉ちゃんから、本土で買えるものと同じものを買うときの寂しさったら、それはもう・・・><。あの四角いおにぎり、あんころ餅、サンドウィッチがいつまで買えることやら。

2015年夏、初おきなわは奥共同店から

2015年秋、ツール市民100キロで再び奥へ

今度奥に行ったら、共同店でおくみどりをたくさん買って帰ろう。特別なことは何も必要ない。マングローブの森で、土地を守る小さい神様の横で、村落の人々の生活の横で、ただボーッとして時間を過ごしていたいだけ。しかし、そこにあるものは果てしなく美し時間である。