High on Life

NO BIKE NO LIFE

能登はやさしや、土までも

ツーのとに関して、書き出せば書かなければならないことがあまりに多くて、今回は半島根元までしか走れなかったけれど、それでも震災の爪痕が見て取れて、どういう展開で書いたらいいか分からなくて、とりあえず行ってきたということが分かる情報のみアップしておくことにしようか。後日書き足していくこともあり得るけど・・・、書き出すと長くなりそうで怖い><。

 

 

 

 

後日書き足し開始

やはり記憶に留めるべく、少しずつ書いていこう。文章を組み立てるというより、写真にコメントつける感じなら書いて行けそう。

 

36thツールドのと/金沢〜中能登〜金沢(スタート前、ゴール後の余分計測含む)

5h26m14s 142.59km 26.2km/h NP144w ave93w max691w 123/166bpm ave80rpm TSS255/CTL67/TSB-29

 

9月14日朝9時きっかりに出発。北陸道が工事で相互通行区間が多く時間がかかるという情報もあり、予定より1時間繰り上げて出発。

ジムニーの助手席を倒し、前後輪外したエモンダを立てて積載。ホイールは天井ラックに前輪、荷物を積み込んだ後に段ボールでクッションを作って後輪をフワッと置いておく。人ひとりにバイク一台という贅沢というか不便というか、ミニマムな感じで旅を楽しむのもいいもんである。

1インチアップしたジムニーは快調。足腰がしっかりして揺ら揺らしないのでスピードに乗る。それでいて段差の衝撃を吸収するので前より長距離が楽になった。

鯖江で越前おろし蕎麦を食べ、尼御前でガソリンを満タンにする作戦だったが、北陸道に入った途端に情報通り渋滞。予想より1時間余計にかかって福井県に入った頃には腹の虫が泣いている。北鯖江は諦め、杉津PAに入りそこで越前おろし蕎麦と焼き鯖寿司。きっと北鯖江のはもっと美味いんだろうなとか思いつつ。食後のコーヒー飲みながら海を眺める。いい天気だ。

次に予定の尼御前に入るが、まだガソリンに余裕がある。バニラソフトを食べ目を覚まし、スタンドには寄らずにすぐ出発。

程なく金沢西インターを降り、西部緑地公園へ。会場で受付を済ませ、コンビニで明日の朝ご飯の買い込みと、近くのガソリンスタンドで帰りのガソリン補給。明日の天気を鑑み、ジムニーはテルメ金沢第2駐車場奥に停めて、ホテルにチェックイン。受付、買込み、ガソリン補給の他に工事渋滞で予想以上にもたもたしたにも関わらず、早く着いてゆっくりお風呂に入りたいという作戦は、朝9時に出発できたことによって実現した。

風呂でしっかり汗をかいて、割とギリギリで夕食会場「囲」に入る。先に横ちゃんが来ていて、予定時刻ちょい過ぎに小湊アニキも到着。どうやらビールで乾杯の前にお風呂に入れたのは私だけのよう。久し振りの再会と、ツールドのとが今年も開催されることを祝し、心の底から嬉しい乾杯。

話も尽きないし、焼肉も美味しいのでついつい飲み過ぎてしまった。少しでもアルコール抜いておこうと再び温泉に浸かる。風呂上がって大人しく寝てしまえばよかったのに、部屋でまた缶ビールを飲んでしまったのが翌日結構響いた><。

朝出発が早いので宿は素泊まり。朝はすんなり起きれて、朝飯は昨日コンビニで買い出したおにぎり二個、饅頭一個、牛乳、ヨーグルト、インスタントコーヒー。あんぱんが余ったのでゴール後の補給に置いておく。軽量化はスムーズに行え、着替えて出発。雨予報なのでゴール後のことを考え、車は舗装してある隣のテルメ第2に置キッパにしておくことに。

自転車を組んで隣りの会場へ。ぶらぶらしていると石川の自転車アニキ達がお見送りに来てくれている。中田さん、河合さん、室田さん。地域性なのか、石川のアニキ達は義理堅く仲間意識が強い。とても嬉しい。

 

梅田アニキとの兄弟ショット。アニキは強いライダーなのだが、長いことサポートライダーでツーのとを支えていて、能登路の主のような人。同い年かな?多分そうだったと思う。過去12年連続で出場していた頃には、こちらが一方的に集団内でお世話になっていたのだが、ZWIFTで名前が被ってることからやりとりが始まって、コロナ前の温泉ライダーでリアル顔合わせだった。

他にも、1日コースのサポート殿村さんにご挨拶、内灘過ぎの登坂後にハーフコースサポートの中田さんにもご挨拶できた。

うじきさんとゴローさんもツーのとを大切にしている。2人のトークに成田さんも嬉しそう。

 

大まかにゼッケン順でスタート位置に移動して、そこから8時に小グループに分けてスタート。しばらく市街地を走るのでこれは良かった。以前は長蛇の列で大変だったよな。

割と前の方だったのでスムースに進む。信号が多いが、みんなツーのとの走り方を理解してるのか、無駄に信号ダッシュかまして後ろに迷惑かけるような輩はいない。声掛けや手信号もみんなできているし、安全に走ろうという意識が浸透している。それでも橋の上りなんかでどうしても間が空くところができるので、そこは声掛け、手で合図しながら上がらせてもらう。カツリーズの前も通過。だいぶ塗装が剥げていたけど、楽しげなデザインは健在。

過去の経験から、先頭集団が圧倒的に楽なことは分かっているので、最初の内灘休憩ポイントでささっと補給を終わらせ先頭グループと一緒にスタート。ここからゴールまでずっと先頭集団で行くことになる。

のと里山海道の側道を快適に流した後、過去の出場中には走ったことのない、千里浜なぎさドライブウェイをいよいよ行く。車で来ている観光客も多い。思ったより硬く締まっていて、チェーンが砂まみれになるんじゃないかという心配は杞憂だった。湿った場所が走り易く、乾いた砂に入ると途端にハンドルが取られ落車しそうになるのも面白かったし、何より気持ち良かった。なかなかいい記念になった↓。ありがとう北國新聞さん。

上に写っているメンツでほぼ先頭集団固定状態。

路面は地震の影響でアスファルトが割れている箇所が多い。タイヤが取られるほどの縦の段差には遭遇しなかったけれど、半島まで行かなくても被害があったことが分かる。中能登町まで行くと崩壊した家がそのまま放置されている光景も何箇所かあった。半島へ入っていけば9ヶ月も前の地震だとは思えないような状況が沢山見えてくるのだろうと想像される。地理的条件から、半島を置き去りにしても問題ないと政府がたかを括っているのではないか?と勘ぐってしまう。

今年の開催には賛否両論のうち、”否”の方が多かったと聞く。それでも僕らが走った沿道からは沢山の声援を受けた。走っていていいのだろうかと、正直思ってしまったけれど、走りに来てくれる人が沢山いるっていうことも、能登が愛されていると地元の皆さんに感じてもらえるしと、自問自答を繰り返す。

能登では今年も変わらず休憩ポイントごとに手厚い補給が受けられる。中能登町の昼食会場に着く頃には、もう腹一杯でどうしようかって感じだった。数種類の中から選べるという有り難さの中、まぐろトロロ丼を採用。これがなんともトロットロでなんぼでも口に放り込める柔らかさ、新鮮さ、お腹に優しくて美味しい昼食。

昼食会場直後に短いが劇坂上りが待っていて、大きな集団で出発したがここでバラけた。その後は信号が少ないコース設定のおかげでスイスイと進行。午前は昨日の酒が残ってしんどかったが、午後はスッキリして脚が回る。先頭をひく遥希(はるき)女史がジョギングシューズで快調に飛ばす。アップダウンが多いので、登りのたびにこちらが300から400w出しているのに、遥希女史とまっこ女史は2人で淡々と引いていく。何なんだこの2人は一体!?

午後もこれでもかっちゅうほど休憩ポイントがあり、先頭集団では休憩よりも天気が心配で速く走ってしまいたいよねと言いながらも、用意された補給食をしっかり食していくのだ。まさに”肥るどのと”!

午後はずっと同じメンツで快調に走り、ついに1ミリも雨に降られず西部緑地公園へゴール。とても信じられない程の天気予報のハズレ。お昼前から雨マークびっしりだった予報を一体何が変えさせたのか!?みんなの能登への熱い思いが雨を黙らせたとしか言いようがない。

写真のメンツが最後まで残った先頭集団。みんな登りの度に前へ出て元気一杯。先頭を抜いちゃダメよと、何度も注意したけど、みんな頭より先に脚が動いてしまう動物らしい。強いね皆さん。その気持ちは分かるよ!

 

ゴール後に先頭のサポートライダーのお二人と

左の黒ヘルメットはお医者さんの遥希女史。コナさんの病院で研修もしたお医者さんだそうだ。それでいて全日本選手権ロード10位という強者。この可愛らしい表情からは想像も付かない脚力。足元はナイキのマラソンシューズ。ビンディングシューズ忘れたとか訳わからんし、フワフワするであろうこのシューズで我々を難なく142キロ引いてくれたのだ。午後後半は信号停止が少なく、40キロ巡航も当たり前。それをこのマラソンシューズで・・・。右側のまっ子さん。細い体のどこにあんな力が貯蔵されているのか?終始綺麗なフォームで淡々と走っていた。コナさんから聞いた話しでは、毎日のように結構乗り込んでいる様子で、仕事なんかしてないんじゃない?って感じだったけど(笑。ゴール後に、“遥希先生の引きに普通に付いていってましたけど、一体何者???”って聞いたら、一応イラストレーターってことにしときますやって。こんな強い女史が2人もいれば、梅田アニキ始め、ゴローさんや門田選手やサポートライダーの皆さん安心して後方のサポートをできただろうと思われ、サポートグループの層の厚みと団結力、そして配置の妙に感じ入った次第。ツーのとの歴史の厚みはそういう所にも現れている。

 

28ミリタイヤで空気圧は前5の後ろ5.1。デブのロングにはちょうど良い加減だった。あらためて、EMONDA SLR+AEOLUS RSL51の安定感とスピードと登坂力に感謝の142キロだった。終わってみれば、ジャージの腰ポケットには手付かずのスピードジェルが3つ。そうだよなぁ、これだけ補給ポイントが手厚いんだから、何もいらないよな。昔出ていた頃、円山峠、桜峠の手前で、とっておきの甘くて高濃度の液体を飲んでいたのを思い出して微笑ましい気持ちになった。今ならそんなの不要。右肩の痛みは相変わらずだけど、自転車で走るには問題無かったし、右腰にはジレを入れていたけど、雨が降らず右のポケットに手を伸ばす用事もなかったし。

 

ゴールして、あまりゆっくりできないのでそそくさと撤収。テルメの無料入場券もらったけど1時間待ちで諦め、ジャージのままジムニーに乗って片町のホテルへ移動。駐車場が一杯で、契約駐車場までだいぶ歩かされた。少々ご立腹ながらも、チェックイン後限られた時間で大浴場へ。汗を流して夜の打ち上げに備える。

 

コナさん御用達の『まつ蔵』で

片町から少し離れた場所で病院関係者も利用し易い場所柄、コナさんも愛用しているというお店。遠くから友達が2人来るのでよろしくね!って言ってくれていたらしく、次から次へと美味しい海鮮のねたが運ばれてくる。私も小湊さんも大喜び。最初に聞いていた会費ではとても収まらないだろうと思ったが、収めてくれた。ビックリの御用達待遇。日本酒も美味しかった。北陸は水がいいからねぇ。コナさんにも集まってくれた皆さんにも感謝。朝も夜も仲間に手厚い石川の友人たち。

新鮮な海の幸、川の幸、純度の高い日本酒のお陰で、朝はスッキリ起きれて7時にはホテルを出発。歳なのでこれ以上観光して帰りが遅くなると明日が危ない。帰りは福井県がずっと雨だったので、滋賀県の賤ヶ岳SAまで走って休憩。帰りは渋滞に合わず、その後一直線に精華町まで走ってお昼前11時過ぎに帰宅。ジムニーもよく走ってくれて、想像していたよりは楽に往復できた。

午後自転車の清掃と3日分の洗濯。事前の天気予報から、行く前は帰宅後のバイク清掃には覚悟していたがそれも杞憂だった。

 

来年はどうなるだろうか。ツールドのとはどこまで足を伸ばせるだろうか?伸ばした先が少しずつ半島の奥へと、1年ごとに進んでいけばいいなと思う。そして3日間のツールドのとに戻ったら、能登の復興も完成に近づいているのかも知れない。その時自分は何歳なのか?それも心配。

 

 

能登はやさしや、土までも・・・また行きたいな

 

 

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