2015年みたいに嫌な哀愁が漂わないようアイスコーヒーでオチ付けて流してしまおうと思ったが、やはりおきなわロスだ。ちゃんと書き残しておこう。それがおきなわだ。
ネット上に色んなレヴェルの人の参戦記が上がってきた。優勝した人、上位争いした人、自分の目標と闘った人、そしてDNFだった人もちゃんと。情けない思いをした自分も、一旦読者の側に回ると、どのレヴェルの人のも楽しく読めるし尊敬もできる。特に、“参考になる”に関しては読者それぞれのレヴェルと目線があるから、ちゃんと書き残すことで知らない誰かのためになるってことがあるなぁと実感する。私の回りにも読みたい(140キロのことを知りたい)人がいるのは知っている。同じ町内に(笑)。その人の“来年”のためにも気を取り直して書きます、はいっ!
まず140キロカテゴリーについて。言い訳ではなく、そもそもこういう条件でスタートするんだというメッセージを込めて。
マスターズ完走率は49.3%、最終完走者のタイムが4時間50分31秒/28.91kph。オープンが76%の完走率に4時間59分36秒/28.03kphが最終完走者。”全員“カテゴリーだった昨年までの最終完走ラインは、チャンピオン及び市民210の進行に伴い、5分刻みの調整で4時間55分~5時間05分の間を推移してきたようだ。なので今年もオープンは例年通り枠の中に入っている。もっと前の時代にはチャンピオンと市民の間にスタートさせたこともあったようだけど、今後もマスターズが存続するならそれは物理的に難しい。参加費徴収の分母は増やしたけど、完走は保証しません、という状態が続くと思って練習する必要がある。つまり今年のマスターズ出走者の50.7%のように、完走できなかったけど競技運営にはちゃんと貢献したってことで満足できるかどうかってこと。あぁ、DNSの人も参加費は払っているから、運営費に貢献した人はもっといるな。さらにいえば、昨年までの100キロU39/O40と、今年から始まったオープン/マスターズとは分け方の意味が違うので、これまでの100キロのように、”来年はスタート順が入れ替わる“ってことは多分無いだろう。
140キロ、今年の出発時間はオープンが9時20分、マスターズが9時30分。この10分マイナスの時点でもうカツカツなのだが、100を知る人にもっと分かり易い比較をするとこうなる。100マスターズが10時15分出発。実際の距離が100キロは107キロ、140キロは143キロ。この+36キロの中身が、普久川の登り+安田から奥へのアップダウンであることから、出発時差45分はトッププロでも回収できないことは明白。私のレヴェルだと少なく見積もっても、100が奥を出たあと20分マイナスの計算。100より登りの負荷が上がることを加味して計30分くらいの心理的重荷を背負ってのスタートとなる。
今年の私はどうか?体重は結果的に昨年同等か。つまりは自分比ではかなりデブの部類。バイク重量は1.2キロ増。時間耐性は昨年より上。パワーは同等と思っていたが結果として減と感じる。体重とパワー不足が効いてしまった。登りを昨年同等で我慢して、下りと平坦を昨年比110%で、というのが狙いだったが、登りの出力が自分でも驚くほど低かった。歳か?アイスコーヒーか?そこはパーソナルな比較を十分にしておかねば。
11月8日
3時起床。家内に空港リムジン発着所へ送ってもらい、4時10分の始発で関空へ。早朝の関空も年々人出が増えている。ソファに泊まり込みで寝ぼけ眼の外国人も多い。バッテリー消費が激しくなってきたiPhone SEを充電しながらプロテインバーで小腹を慰める。カーボロードは明日から。今年は単独行で寂しいが、搭乗口で城陽方面からの愉快な仲間と合流。
行きの便にはエコノミーにもモニターが。
那覇空港到着。今年もバイクは先にホテルへ着いてるし、空港再直近のレンタカー屋さん利用で時間効率アップ。
1時間でホテル到着。チェックインできる時間ではないので、エントランス横でバイクを組立てさせてもらう。強風のため2回も倒してしまい、リアディレイラーとフロントフォークに傷がつく><。いきなり思いっ切りへこむ。気持ちを落ち着かせバイクを積んでゆいゆい国頭を目指す。途中大宜味村の前田食堂でもやしチャンプルー。
腹一杯になって苦しい。カーボロードは明日から、の決め事は美味しそうなメニューに簡単に負けた。
ゆいゆい国頭でバイクを準備していると、はりちゅうチャンプY浅さん登場。
道の駅にある“重量挙げのヤンバルクイナ”だっけ?の前で写真撮ろうとしてまたしても強風にバイク転倒。縁起が悪すぎてへらへらと笑うしかなかった。へらへらしながら序盤の北部1周試走にスタート。強風で進まない。3回も倒したのでリアの変速がおかしい。17Tから上がすんなり入らず、入っても変な音がしている。これはへこむ。停まって強引に直そうとするが、ここへきて収拾がつかなくなるほど自分でいじらない方が得策と諦める。(これが本番でもの凄いストレスになることに。)
山岳省ポイント手前で追いついてきたY浅さんと自分のバイクを撮影。この時、また倒れるかも、という心理が全く働かなかったほど危機管理のできない自分に今更ながら呆れる。
もう1本上るというはりちゅうチャンプと分かれてふんがわダム、安田方面へ。安田から奥までは昨年なさんと走った記憶では結構きついなぁという印象。アップダウンの連続をどのようにこなせるか予習しながら進む。楚洲から奥への最後の長い登り以外は、レースペースであれば全部アウターで越えられることを確認して奥集落へ。
奥、懐かしい。試走を含めればもう何回もお世話になった場所。ここまででだいぶ時間を食ったので感慨にふける間もなく奥の登りへ。ふんがわを先にこなしてくると、この登りもそんなに長く感じないことは良かったが、だいぶ脚に来ているだろうから本番では苦しむことになりそうだ。
そして辺戸岬への下り。北部のアップダウンと共に確認したかったEMONDAとMADONEの違い。毎年のこと、この下りで起こるシミー現象。集団から離れることを犠牲にしてもブレーキングせざるを得なかったが、MADONEはスーッと下ってくれた。これで本番での下り・平坦110%計画に心配はなくなった。
11月9日本番前日
寝坊して6時20分起床。6時30分開始のブッフェモーニングが混まないうちにと速攻でレストランへ。ついつい取りすぎるんだよねぇ。食べ過ぎ!今日は試走なし。ゆっくり余裕をもって準備、受付など行い、残った時間はスパのサウナで汗を流したい。朝食後バイクの準備を。サドル高さ、ステム軸の再確認と、ゼッケンの付け方を予習。その後往復1時間程散歩して帰り道に昼飯。
午後一番で名護にて受付完了しすぐに引き返し、バイク及びジャージにゼッケンをつける。
残りはスパ&部屋でまったり。問題の夕食と“愛のアイスコーヒー事件”は前記事に譲り割愛。
もう一度スパに行って、10時前に就寝。
一睡もできず・・・。
11月10日本番
4時15分起床。当然体が重いが強引に跳ね起きて練習会の朝同様のルーティーンをこなす。用意しておいたバナナ、青汁、ヨーグルトに続き、ホテルが用意してくれる朝食ボックスを押し込む。
コーヒー飲んで、ボトル、フラスク、補給食の準備。加圧体操、ストレッチ、軽量化、着替え、出発。バイクを持ってEVで降りる、私は12階。なんと、11階でREのT岡チャンプが一人で乗り込んできた。びっくりした私は背筋をたててご挨拶。私:おはようございますっ! チャンプ:おはようございます。私:ここにお泊りだったんですね。チャンプ:えっ?私:えっ?あぁ・・・、今日は涼しそうですね。チャンプ:いやぁ26度くらいまではいくようですよ。私:ああそうですか・・・、頑張ってください!。チャンプ:(至極冷静に)ありがとうございます。ここまで会話してようやく扉オープン。ふぅー、緊張したわもー。
今年もN浜さんにお願いして送っていただく。かいぎんフィールド国頭の駐車場で降ろしていただき、ゆいゆい国頭へバイクで移動。6時50分くらいか?すでにオープンもマスターズもバイクがぎっしり並べられている。
一応シードゼッケンなのだが、140キロ出発地点にいる大会役員はシード権なんか知らなかったっていう過去情報が複数あり、出走票投函箱の前にいた役員に聞いてみた。やはり知らないと・・・。恐るべし140キロ担当役員。噂は今年も本当であった。改めて並べてあるバイクのゼッケンを確認するとシード権を持った人のバイクはなさそう。そん時ゃそん時やと開き直ってウォーミングアップに出る。与那入口まで往復。まだ時間があるし肌寒いのでさらにリゾートオクマ方面をぐるっと回り、戻ってきてようやく陽が差してきた。途端に気温が上がり始めたので、売店前の日陰のベンチで2回目の朝食を摂る。どうやらこのピロティーにはシードゼッケンをもった選手がゆっくりしているようだ。目の前の人に聞いてみたが、やっぱりシードがあるのかないのか疑心暗鬼ながらここで待っているとのこと。
ここで、耐久系のレース前に必ずやらかす食べ過ぎをまたやってしまった。いくら練習したとはいえ、この強度のレースで走りながら補給を摂るのはやはり難しい。気後れしてハンガーノックになるのも怖い。食べまくった><。上述のホテルでの朝食にプラスして、栗饅頭1個、どら焼き1個、パラチノース入りエネ餅3個っ!!!冷静に考えたらほんと死にそうだ!そしてジャージのポケットには、走りながらでも食べ易いスポーツ羊羹2本、梅丹CC4本、電解質パウダー入り150ミリフラスク2本。相当重い。こんだけ食ろうた後にどう考えても不必要な量。逆に、こんだけジャージに入れてるのに、不必要な出走前補給。馬鹿だねぇ相変わらず。毎回のことながら、過酷なレースを前に過度なハンガーノック恐怖に陥るチキンであった。
ピロティー内に昨年の様子が口伝えに伝わり、何となくシードゼッケンの選手たちが集合場所よりもかなり前方に集まり始めた。どうやら選手の自主運営によりシードの場所を確保するようだった。やっぱり役員は知らないのか。
すると一旦こんなアナウンスが流れた。
“140キロは10分スタートを繰り上げます!”
喜びで躍り上がりたいくらいであったが、我慢した。なんせ周りはシードな人達(汗;。心の中で激しく安堵した。これでいける!
しかしほどなくして訂正が入った。
“スタートは3分のみ繰り上げます!”
3分—ん?
無いよりましかぁ・・・。
一旦10分って言われただけに結構落ち込んだ。
いや無いよりましだ。そう思ってスタート。
レース開始
有難く3列目からスタート。40キロ巡行を気持ちよくこなしていく。このレヴェルの集団先頭ってこんなにも安心感があるんだと改めて実感。鈴鹿や岡山とは違う。強くなってずっとこの位置で走れたらと、憧れにも似た感情が湧いてくる。しかし私に許される時間は短い。あっという間に与那入口に到着。ここから勝負する人達と完走目指して踏ん張る組に分かれる。
TdO普久川ダムの登り:22:52/240w(できれば人前に出したくなかったが、出走した者の責任として、これが参考になるレヴェルの誰かに伝える義務として、以降stravaに既出の主要区間データをその名前で上げておきます)
のっけから力が入らない。毎回2キロ程度で先頭集団からじわじわ離れていくのだが、100キロとは違う入りの速度に気持ち負けもして、なんと1キロで切れてしまった。その後もどんどんどんどん抜かれて集団もまばら。やばいと思ったが脚に力がみなぎらない。さっき食べたものが口の手前まで上がってきた。まじやばい。ほんとに馬鹿だな。一旦下るところでできるだけ挽回を図り山岳賞ポイント通過。PRより1分20秒以上遅れで予定外のタイムロス。とにかく下りを攻める。去年までとは明らかに違う速度で逝ける。
オールスポーツコミュニティーさまごめんなさい!ちゃんと買いますから!
写真を見ると下りで回復して余裕の表情に見えるが、心中焦燥感で一杯。
ふんがわ補給所、ボトルをもらう必要はなかったが、所持の中身を温存しておくのもいいかと、トド兄貴からスポーツを受け取りガブガブッとふた口飲んで残りは捨てる。この時点でかなりの人数が先へ行ってしまったように思うし、自分自身不調のようだし、果たしてこの位置で適当なグルッペットが形成できるのか大きな不安を抱えて安田のT字路を左折。
癒しのオジサンたちが心を込めて夕食を振る舞ってくれるアダガーデンホテル前を通過。下っていくうち前方に何人かの塊りが見えてきた。登り返しの度に詰めていき、いつしかそれなりの集団が形成された。こういう区間は得意なのよねぇ。脚質か。15人はいる。一昨日の試走に基づき登り返しは全てアウターで踏んでいく。割と前方でアップダウンをこなし楚洲から奥への長めの登りへ突入。
県道70号線Climb:5:08/244w
インナーをクルクル回しながら、この集団が崩壊せずいけるなら、と、何となく気持ちが盛り返してきた。
奥に到達。当然もぬけの空。寂しいぃー!って、つい声に出してしまった!実際寂しい光景だった。選手で溢れ返る奥しか知らないので、ほんとうのほんとうにしんがりなんだ140キロ、って実感した瞬間だった。この時の寂寥感は半端なかった。
TdO奥の登り:12:53/235w
なんとPRから2分10秒遅れの大ブレーキ。とにかく登りの出力が出ない。登り返しであれだけパワフルに行けるのに、インナーを使う登りだと途端に筋肉が黙り込む。人間色々だなぁとへこむ。
辺戸岬への下りを経て西海岸の平坦へ。集団再結成するも、速度の上下が激しくローテーションがうまく回らない。明らかにペースを壊す輩がいてイライラする。何度も中切れが起き、それを詰めるのに疲弊する。そういう走り方をされると後方がだんまりを決め込むから益々悪循環に陥る。番手から飛び出してペースを上げ、早く出ろと言わんばかりに右ひじを何度も突き出す輩がいる。お前T岡チャンプの本読んで出直してこい!って叫びたくなる。結果的に、全員疲弊かつ与那入口への到着も遅くなるってことが分かっていない。距離の長いレースほど一人でも多くの力を均等に使って平均ペースで走るべし、それがチャンプの教えだ。どのレヴェルでもレヴェルなりにそれは可能だ。
結構なヘロヘロ状態で与那関門通過。
TdO普久川ダムの登り2回目:25:25/215w
みな同じだったようで、いきなり集団はバラバラ。こんなタイムの自分でもばらけた集団の中ほどにいるくらい弱り切った集団であった。このへなちょこワット!やばいかな・・・。そう思ったが1本目ダメだった脚が突然復活するわけもなく、やれる範囲で踏ん張る。走行中は敢えて区間タイムは表示させなかったが、あとで結果をみると奥とここでの、予想をはるかに超えるタイムロスで残念だが勝負は決していたようだ。弱気ながらも、トド兄貴の発破に元気に応えてふんがわダムを通過。
安田を右折すると、なんだか慣れた道を行くようでホッとするが、それほどペースは上がらない。下りを攻めて、登り返しを我慢して、この繰り返しの東海岸。気丈に進んでいくが、いつまで経っても集団が来ない。
TdO学校坂:9:17/207w
ここでも1分50秒のタイムロス。付いていく集団がいないので自分の脚がダメになったらそのペースでしか登れない。このあとの気の遠くなるような東海岸の行程、ふんがわでバラケタ集団の再結成しか生き残る道はない、のだが、来ない・・・・・。何で誰も来ないのか?20人くらいいたのに・・・。高江ぇ・・・、宮城ぃ・・・、東村ん・・・、ずっと一人旅。いても数人ずつ、ローテーションにならない人たちを交わして一人進むのみ。
100キロで感じる距離感の倍は走っている“遠い感覚”に苦しんむ。100キロではアウターでこなせた登り返しもインナーに入れることが増えてきた。まさに140キロの洗礼。この時、1キロ進むのにいったい何十分掛かるんだっていう感覚に陥っていた。
106キロ当たり、慶佐次の補給所までやってきた。ここは大きな左カーブで、ボトルを捨てるゾーンからボトルをもらうゾーンが見えない位置関係。ひょっとして、もうボトルを渡す人みんな撤収したんじゃないかって、一瞬泣きそうになる。居たー、ちゃんと居た!水を2本受け取る。食い過ぎて気持ち悪かったお腹もようやくこなれてきたが、ポケットの補給食は明らかにただの重荷。もういらない。
なんと、有銘の海岸線で集団が来た。見慣れた顔が混じっているから、ふんがわでバラケタ集団の一部だ。やっと人の後ろにつける、そう思ってやり過ごそうとするが、なかなかやり過ごさせてくれない。遅いのだ。仕方なく中ほどに入りローテーションの準備をするが、ローテしていない!挙句の果てに前がグズグズの塊りの糞詰まりになってしまった。これはもうローテは無理だ。ここで休んでいても何の変化もない。諦めて単独走に戻る。しかし・・・、後ろについてくる集団。もうローテしないんじゃないの?放っといてくれよもう。憂鬱な気分で前だけを見て走り続ける。そこからさらに、天仁屋、嘉陽、飽きるほどのコブを乗り越え安部関門を通過。ここでアウトかも?って思っていたので少し安堵。
カヌチャの登りを超えたあたりから一人後ろに張り付いている気配。追いついてきたんだからこの人は頑張れるかも?なかなか出てくれないので、大浦の海岸線で“前引けますか?”と聞いてみた。すると、“引きましょうか?”だって、まじかお前その答え方!イラっと来たけど“お願いします!”ともちろん答えた。でもやっぱだめだった。前に出てはくれるのだが、出た瞬間にバックファイア。すぐに後輪にハスリそうになるのですぐに前に出る。しばらくするとまた、“引きましょうか?”・・・・・・・・、これが何回か。もういいって!って言ってやりたかったけど今日一番の大人な態度で我慢した。
いよいよ羽地の登りへ。“引きましょうかオジサン”を従えて登り始める。昨年までは、“あの地獄のブリッジに今から挑むのだ!”的な、それなりに劇的な瞬間を味わい気合を入れていたところだが・・・、遂に来た。ブリッジに辿り着く前にパトカーと広報カー。その瞬間全身から力が抜けた。(なのでここからはSTRAVA DATEは勘弁してもらう)そこで踏み止めた。まさしく抜け殻となった。停まるほどの速度で番越えトンネルを抜け、右折してツール・ド・おきなわが大好きになるゆえんであるあの応援坂をポタリングで登り、三段坂を越え、またきな大橋を渡り、タクジトンネルを抜け、羽地ダムを下って赤旗が待つ川上関門へたどり着いた。4時間47分/28.3kphでデータは終わっているが、羽地手前から踏んでないし、川上関門でどこに行けばいいか分からずフラフラしていたので正確なタイムギャップが分からず。
一様に肩を落とす選手の皆さん。しばらく同じ集団で走ったY`Rの人たちも居た。“オープンにしときゃよかったっすねぇ”“、”そうですねぇ”なぁんて、その場の気まずさを繕いたい気分で言い訳し合いながら、ゴールへ向けて走り出した。ああ惨め。定かではないがGARMINデータから推測すると、不足分はきっちり10分か、9分か、8分か・・・?
ゴールで仲間に会ったら先ず何て言おうかなぁ、なんて考えながら戻ったが、ゴール付近に誰も見えなかったので、おしっこして、小荷物を受け取って、皆が心配しないよう、“では焼肉会場で!”ってメッセージだけ送ってそそくさと会場を後にした。宿に戻ってスパであらゆるものをきれいさっぱり落としてから焼肉に行きたかった。それくらい情けなかった。川上からゴールへ、ゴールからホテルへ、不思議なくらい軽い脚で軽快に走った。これもMADONEの恩恵かな・・・いやパラチノースが今頃効いてきた(笑)?
もし次があるとすれば、もっと時間耐性を強化せねば。距離よりも時間。マラソンランナーが2時間走、3時間走を重視するのと同じだろうと思う。距離が指標だと何回も休んだとしても、どこかで美味しいご飯を食べたとしても、長い距離乗れば満足してしまうがそれは違う。別々の走行データをたまたま同じ日付でサイコンにまとめただけ。バイクの上で頑張るだけでなく、バイクの上で休んだり、ストレッチしたり、バイクの上で食べたり、スタートからゴールまでの全ての行いを狙いのレースに見合う時間で管理し強化していくのが大事だと思う。春のビワイチはどうなんだろう?レクリエイションの範疇に入るか?そして体重。それこそが私の最重点管理項目!
焼肉!
恒例?の焼肉打上げ。完走して晴れ晴れと行ければなおのことよかったけど、どんな結果でも面白おかしく受け取ってくれる仲間に感謝ですわ、ほんま。みんなそれぞれいい結果でほんと良かった。去年より泡盛は少なめだったけど、肉を食べ過ぎた肉を!ホテルへ歩いて帰る道すがらかなりヤバいことになったので、我慢して我慢して、ホテルロビーのトイレに一直線!第二のN野さんになったかどうかは、昨年のN野さんの顛末をしらないので何とも言えませんが(笑)。
11月11日
6時45分起床。頭はスッキリ。水飲んで、青汁飲んで、少しぼーっとしてからバイクを箱詰め。フロントに預けてその足で朝食。レストランで遠くにまたT岡チャンプを見た。普通に食べて、部屋でもコーヒー飲んで、ゆっくりと今日どうしようか考える。シャワーを浴びてまたコーヒーを飲みながら、Googleマップで行き先を探す。もう一度斎場御嶽(せーふぁーうたき)に行きたかったが、多分さらに観光地化が進んでいて、聖地が聖地にでなくなっているのではないかと予測してやめた。海岸線を指で辿りながら見つけたのが、伊計島のセーナナー御嶽。観光地化されていない匂いがプンプンする聖地。これに決めて出発。
正解だった。何もない、ただ海と祈りの場所があるだけ。美しい。
その後どこかへ行こうという気もなく、時間があるのでのんびり58号を走って空港へ。レンタカーを返して、空港で遅めの昼食。狭い空港なのに分かりにくい場所にある。ちょっと行ったり来たりして迷ったが、一度行ってみたかった『空港食堂』へ。三枚肉そば。普通の味だった。期待し過ぎだった。
ここで愛のアイスコーヒーに次ぐ大失策。1000円札を入れて680円の三枚肉そばの食券を買って、320円のおつりを取ったつもり、だった・・・。関空に戻ってリムジンバスのチケットを買った後に気が付いた。一枚足りない・・・、何が?一万円札が。今朝ホテルを出るとき財布の中に2枚の一万円札と少なくない枚数の千円札を確認していた。そのあと使ったお金といえば、高速代の490円と三枚肉そばの680円、そしてレンタカー屋さんで払った距離計算のガソリン代1600円ほど。またやってしまったか(苦笑)。何年前か忘れたけど、笠置のわかさぎ温泉の発券機で全く同じことをやっていた。その時はすぐに気が付いてフロントに掛け合ったが駄目だった。すぐ後ろに並んでいた子連れの若いお母さんにしてやられた。今回も後ろはおばさん客だった・・・。よくもまぁ・・・。
通常なら怒りに耐えられなくなるところだが、なんせ愛のアイスコーヒーには全てが霞んでしまう、それくらいお人好しでボケボケなおっさんのおきなわ紀行でありました。
長文乱文を最後まで読んでいただけた方がいらっしゃいましたら心からの御礼を申し上げます。また、もし何か少しでも参考にしていただける部分がありましたら”大不幸中の幸い”です。
本当にありがとございました。
あとがき
そして最後に、来年挑戦するであろう同町内の仲間へ
最初に事実としてのデータ比較をしました。そして川上の章で、減量できなかった私が10分足らずだったと仮定しました。この2点で持って、私と一緒くらいのレヴェルの人が従来のスタート時間であれば(今年でいえばオープン)、かつかつ完走は確保できることが分ったと思います。もちろんそれ以上を望んで練習することが大事なんですが、ここでは論点を絞ります。次に、来年出走順が仮にオープンからだったとしたら、10分速くスタートできることに加えて、絶対にオープンで行きたい理由がもう一つあります。実はこちらの方が大事。後からやってくるマスターズの第2、第3、第4集団が使えるのです。100キロを完走したときのことを思い出してください。東海岸を140キロの元気なグルッペットに助けられたと思います。あれが無かったらと思うとゾッとします。そのゾッとを今年死ぬほど味わったのです。2回目のふんがわ以降の70キロ強、あの忌まわしい東海岸のアップダウンを集団に乗って走れれば、今年の私のようなヘロヘロ単独走に対して10分や15分、いや場合によっては20分くらいあっという間に差がつきます。つまり、川上関門は余裕でクリアです。あと風。2017年のすんごい追い風は全体のゴールタイムを大きく押し上げました。チェーン落ちで停止した私でさえ、100キロクラス3時間16分で、ちょっと前ならリザルト1枚目の記録です。ただ風は計算には入れられませんね、結果論です。
そんな感じです。しかし、スタート順は申し込みの前には分かりません。なので、後方スタートでも大丈夫なように練習しておかねばなりません、結局は(笑)。
我々レヴェルにとっての140キロの難易度については大体わかっていただけたのではないかと思います。140キロを目指す皆さん、是非来年頑張ってください!応援しています!!!