どっちが日本語として正解なのでしょう?
どっちでもいいですね。
さておきなわが終わって1週間経とうとしています。
あまり書きたくなかったのですが、そろそろ書いておかないと次に進めないので、備忘録?忘備録?を少しだけ。
受け入れ難い結果ではありましたが、ある程度予感はしていたのも事実です。
ただ、本当にそうなるとは・・・。
スタートが30分遅れになるまでは、どんなに調子悪くても走り切れるだろうとタカをくくっていました。
奥の登り
スタート位置はあまりいい位置ではありませんでしたが、一旦先頭付近まで上がれました。
位置取りを大体決めて、腰を下ろして回転系に切り替えようとした瞬間に、忘ていたものがドスンッと来ました。
パワーで前に上がっている際には気付きませんでしたが、やはり腰から下が駄目でした。
結局そこから川上でアウトになるまで、熱痛い腰と、回らない下半身との闘いとなりました。
辺戸〜与那
辺戸岬の下りで大きめの集団に追い付きローテーションしながら海岸線を行きます。
かなりの人数ですが前の方数人でしか回していません。
これがロードレースかぁ〜と感心しながらローテに入ります。
遠くに先頭集団が見え隠れしています。
あそこに「な」さんやU佐美さんもいるんだろうなぁと羨ましく思いながらも、この集団で完走に向けて頑張ろうと気持ちを切り替えます。
(この時点での先頭集団とこの集団のボリューム具合、後で見たリザルトや自分の最終アヴェレージなどから推測して、この集団の半分は完走できなかったんじゃないかと。
無茶苦茶だな・・・。)
与那〜普久川ダム
集団の人数が多いので先頭付近から後ろに後退しながら、何とか尻にすがり付こうと頑張ります。
しかし、ギアを掛けずケイデンスで登りたい勾配になると、やはり腰から下が言うことを聞きません。
仕方なく踏み込みに切り替えても、当然長くは続きません。
K野塾の特訓を思い出し、こんなはずじゃないぞと言い聞かせるのですが、絶望的な気持ちを抑えられず、来なければよかったと真剣に後悔しました。
普久川ダム〜安波
K野塾では、登りだけでなく下りでの恐怖心を取り払う努力もしていたので、タイトなコーナーが多いこの下りは怖くはありませんでした。
辺戸岬の直線的な下りの方が風が強く恐怖でした。
高江〜宮城
突っ込んで攻めて行くうち、一人また一人と集団化することができ、学校坂を終えて高江辺りのアップダウンをこなしながらいいペースのローテーションが実現しました。
よし、これならゴールまで行ける。
中に一人強力な牽引リーダーがいて、遠くにグループが見えると必ず一旦鬼引きして吸収してくれます。
ゼッケンは私と同じ色。
スタート直後に何かトラブってこの位置に居るのか?
集団ができても全員がローテに加わるわけではありません。
前の方数人で回すのですが、やはり人情、時折誰も引かずペースがぐっと落ちます。
そんな時に我慢できるかどうか、耐えられず前に出るかどうか、心理戦です。
ツールなどの中継でもよく見るシーンです。
これがロードレースなんだなぁ〜と、結構冷静に状況を楽しみます。
東〜慶佐次
いいペースで回って来ましたが、短い登りでグイッと踏み込んだ瞬間、ついに右足が攣りペースダウンを余儀なくされます。
予想より早く攣りがきたのは、ケイデンスを上げられない下半身をかばってパワーで押してきたからです。
残念ながらここで集団から離脱。
左脚一本で登り切り下りでストレッチ。
何とか誤魔化せた時にはもう集団は遥か前方へ。
あとから思えばこれがデッドラインを割った瞬間だったのでしょう。
慶佐次〜大浦
攣ったあとの登りでは、頻繁にインナー×ローを使わざるを得ず、結構一人旅になります。
腰が焼けるように痛く、ブラケットポジションを維持するのも辛いほどです。
上ハン、ブラケット、下ハンを頻繁に持ち替えながら、泣きたい気持ちで走り続けます。
補給所手前で女子国際の先頭集団に抜かれましたが、そのしなやかな走りには正直驚嘆しました。
皆さん美しい後姿でした。
補給所では水のボトルをもらい、飲むよりも頭から脚まで掛けることを優先します。
少し持ち直し安部を通過。
カヌチャのアップダウンから大浦の海岸線に下りた辺りで誰かが後ろに付いているのに気付いたので、駄目もとで「前出れますか?」と聞きましたが、予想通り「すみません、出れませーん・・・」と。
「いいですよ、皆さん同じですよ、気にしないで」と返して引き続けます。
大浦〜羽地ダム
大浦で右折した所で、後ろから「少しだけ引きますぅ」とさっきの人が前へ。
もう腰と脚とそれ以外がバラバラになっているので、少しだけでも死ぬほど有難いです。
登りに掛かるとその人はまた後ろに下がりました。
破壊的で直線的な登りを何の気概もなく見上げ、もしかしたら最後まで行けないかも知れない、でも時計は見ない、見たら瞬間的に脚が止まるだろう、そんな問答をしながら登り始めます。
もう回せないのでダンシングがメインです。
少し登るとさっきの人は後方へ消えて行きました。
僕以上に辛かったんだろうなぁ。
前に出てくれた時の気持ちを思うと、少し後悔しました。
登るにつれ応援してくれる人が増えます。
番越トンネルを出て右折後の登りではさらに人と声援が増えます。
頂上では氷を渡してくれる人がいて、涙が出るほど嬉しかったのですが、それより何でこんな順位でそんなに応援してくれるんだろうという疑問が素直にありました。
その理由は、ダム湖を渡る直前に抜いていった広報カーのアナウンスによって明確になりました。
「この車の通過と同時に交通規制が解除となります」
「ツールドおきなわの開催に対するご協力に感謝いたします・・・」
呆然としながらも、あの車に付いて行けたらひょっとしたら間に合うかも知れない。
そう思って回そうとするのですが、全く回りません。
腰も脚も腕も固まって動きません。
痛みさえも感じません。
下り終え、長い直線の先に、左右に打ち振られる赤旗が見えました。
本来左折するはずの川上交差点を、何台かの自転車が右折して消えて行きます。
枝道からは車が入ってきます。
その後はあんまり思い出したくありません。
冬から夏までは、周囲に気を取られずマイペースで体幹を中心とした体力アップを図りました。
夏は脚のパワーアップを中心にし、秋にはパワーを温存させながらの減量に成功しました。
登坂力は上がり、自分でも予想していなかった領域で走れるようになりました。
しかし11月は遠かったですね。
10月頭がピークでした。
詰めが甘い・・・。
来年はどういった手順で、どこを目指すのか、まだ決めていません。
ただ、この瞬間には相当な思いがよぎりました夜の関空に到着して外を見た瞬間です。
押し潰されそうな気持ちになったことを忘れないために一枚撮っておきました。
それが来年のおきなわに対する気持ちかどうかはハッキリしませんでしたが。
同行のなさんには随分お世話になりました。リラックスして過ごせたことに感謝しています。
本番に強いところ、また見せ付けられました。
さすがです。
見習います。
ありがとうございました。
また機会があれば宜しくお願いします。
ゴール後美味しいアグー豚で楽しませてくれたとどさん(左端)、最終日プチ観光と帰阪を共にしたカコイッチ(右から2人目)にもお世話になりました。
アグー豚の反省会では、広域農道練の強者4人からも色んな話しが聴けて楽しかったです。
ためになります。
私の大好きな島根県で、単騎頑張るF谷君にも勇気付けられました。
浜比嘉島の古民家食堂よかった素朴でほんとに美味しかったです。
練習で叱咤激励してくれた練習会の皆さんありがとうございました。
遠くから応援のメッセージを下さった方にもありがとうございました。
とりわけK野塾で鍛えてくれた皆さんには期待に応えられなくて大変申し訳ない気持ちです。
また頑張りますので、皆さまこれからも宜しくお願い致します。