High on Life

NO BIKE NO LIFE

初フル完走ー2017京都マラソン完走記録

3h38m35s 42.45km 5m09s/km 11.7km/h 184spm 1.05m/p
総合2163位 年代別343位
https://connect.garmin.com/modern/activity/1580494284

後日確定したWEB完走証


出し切ったと思います。今の体力で、Gブロックスタートで出せる精一杯のタイムだったと思います。
思えば一昨年の12月から始めた冬の二毛作ラン。キロ8分台で2キロ走って足が動かなくなったあの日から、よくぞここまでオッさん成長したもんだって、素直に感動すればいいと思うのですが、何となく変なんですよね。喜びで一杯って感じではない、変な終わり方なんです。それはある意味笑える話でもありますし、笑える原因故に不完全燃焼とも言え、なんとも不思議な旅の体験でした。
迫り来る尿意と闘いながら、42.45キロ、3時間38分走ることになるとは思いませんでした。出そう出そうと思っても、不思議なもので、走ると言う動作をしている最中決して出させてはくれないのですね。運動生理学なんでしょうか、何でしょうか、筋肉が活動している最中に放出するという力が働かないようになっているのでしょうか、人間って。どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら是非ご教示ください。今後も同じようなことは起こり得るし、メカニズムが解れば焦りや緊張も減るでしょうし。知識としてではなく、経験値としてFBにコメントをくれたS藤君には、実は大変感謝しているのです。尿意が来ても我慢しきることはできるし、やがて尿意は消える・・・、そのコメントが3時間38分の間、ずーっと頭の中でリフレンしていたのです。私の場合、尿意が消えることはなかったですが、足を緩めることなく我慢し通すことができたのです。S藤君のコメント読んでなかったら、終始トイレへの強迫観念に襲われ、大きくタイムロスしていたでしょうね。



今年はサブトラが工事中で、Gブロックは陽も当たらない狭小な場所に整列させられました。Gの先頭から50mくらいの位置は確保できたものの、体を動かすこともままならない密集度。JR西大路駅から数えて3回もトイレ行ったにも関わらず、スタート15分前辺りで尿意発生。走行中に来る想定はしていましたが、さすがに記念すべき初フルマラソンのスタートが尿意とともに・・・、ちょっと憂鬱な始まりです。競技場内をゆっくり移動している最中、列から離れてスタンド裏のトイレに駆け込む人も多くいましたが、さらに位置を下げるのが嫌だったし、”走りながらするっ!”と、前夜真田安房守の口を借りて宣言していたこともあり、ままよと開き直ってスタートラインを超えました。号砲からのタイムラグは9分半くらい。
予想はしていましたが、やはり酷い状態。まともに走れません。隙間を探して右に左に。急ブレーキを掛けて横に跳ね飛んだり、肘鉄をくらったり繰り出したり、給水所が近づくと反対側に逃げて行ったり、路肩の段差に足を取られながらの追い抜き、一条山越えで多少バラけてくるまでに相当体力を奪われました。特に中盤を過ぎて露見したのが、路肩の段差に足を取られながら抜いていく際に相当左脚に無理が掛かっていたんだなということです。給水所前後を除くと、追い越し掛けられるのはほぼ右の路肩オンリーです。一条山越え辺りまでの追い越しは、右の路肩走行がほとんどでした。もうそこしかないので行くしかないのです。



私の脚は、左脚が右脚より1センチほど長いのです。道路は必ずセンターから両側に向かって下がっていきますから、テレビ放映されるようなレースのように、普通に左側を走行すれば何の問題もないのですが、今回のようなマンモス大会だとそうもいきません。左側に寄ってもみましたが、何故か右のようには空いてくれないのです。自然と無理な力が掛かっていたのでしょう。その影響は28キロから29キロ辺り、北山通りから加茂街道に出たところで左の腰と左足底部の痛みとなって現れました。
加茂街道を南下してすぐに始まる賀茂川沿いの土手も、その凸凹とした路面が左脚を痛めつけます。極め付けは、33.5キロ辺りで賀茂川から丸太町通へ上がって36.5キロで川端通りへ出るまでの地獄の右側通行区間。原因と状態に因果関係がついた頭でも、コースがそうなっている以上どうすることもできません。長さ故に早く着地して体重と推進力の大半を負担しているわけですから、進んだ距離だけ確実に左足の痛みが増していきます。実は3日前に一旦引いていた右腰の痛みが前日再発して、右の腰からお尻を経て脚にかけて力が入り難い状態でスタートしていました。距離自体が未体験ゾーン更新中なので、37キロ過ぎの今出川の登りで恐らく脚が攣るか、あるいは大いに失速するだろうなと覚悟しました。



36キロ過ぎ、京都市役所では家内と息子、姉と甥がパンを食いながら大きな声で応援してくれました。なんでパン片手?どうも予想より少し早く私が来てしまったようです。上記の通りほぼ諦めの境地で走っていたのですが、ここで気持ちを切り替えました。やはり家族の声には心と体が反応します。ここから今出川通り東端の折り返しまでコースは登り続けます。普段の練習コース、山田川から家まで後半7キロくらいは登りっ放し。しかもスシロー坂もしくは焼肉の幸庵坂を含む地獄の腕振り登坂をやってきました。前半の山陰線跨線橋や一条山越えにきぬかけの道は、いつもの東畑登坂に比べれば平坦みたいなものだったし、後半登り続けるレイアウトはまさに練習コースと同じ。最後に長時間耐え続けるのは慣れています。
丸太町以降ペースはじりじりと落ちており、密かな目標であったサブ3.5は早々に無くなりました。が、なんとか40分は切りたい。3時間39分と3時間40分では、ゴール後の次へのモチベーションが全然違うのでは?と思い、スプリットを6分に落とさないことを誓いました。かすかに残る体力と、体力に比べればまだ多めに残る気力とで、”速度維持”から”粘り”に走りを切り替え腕振りを変えました。バイクでいうと、フロントをインナーに入れた感じですね。




気力を振り絞りますが、それでも登りは登り。徐々にスプリットは落ちていき、今出川の中盤で5分45秒まで落ちました。まずい、6分に入るかも・・・、そう思った瞬間、左側から聞き慣れた声が!なんと、あしやん夫妻が道路の反対側から声援を送ってくれています。さすが経験者、一番キツイところをわかっていらっしゃる。廃人の顔に無理やり笑顔を被せて手を振ると、なんとなく元気が戻ったような気になります。しばらく行けば折り返し。また笑顔で手を振るとさらに元気が。もうペースを上げる力は無いとはいえ、維持するだけの気力がさらに出ました。ありがとうあしやん夫妻!




東大路通に出て最後の給水。給水時のペースダウンで5分51秒に落ちるも、初めて2杯飲んだら最後の最後で脚が急に動き出しました。多分最後だという気持ちも後押ししたのだと思いますが、41から42キロが5分18秒にアップ。冷泉通りをS字に走りながら腕振りを大きくしてさらにペースアップ。平安神宮前を右折して、全力疾走でゴール。最後の直線はキロ3分台に該当する速度でした。
手元のGARMINで3時間38分33秒。ゴールした瞬間あらゆる痛みに襲われ、自分の体を制御できず前方に溜まっている選手の背中に倒れ込むようにのしかかってしまいました。幸いその方がしっかりされていて何事も起こらず済みましたが、それくらい出し切りました。まさしく空っぽでした。家族は市役所からゴールへ移動し、冷泉通りでS字に疎水を渡るあたりに居たらしく、ちょうど腕振りを大きくしてラストスパートに入ったところを見せられたのではないかと思います。




ゴール後、立ち直って歩き出した瞬間、左足の底の真ん中辺りに激しい痛みを感じました。走ってる最中には分かりませんでしたが、前半相当無理が掛かっていたんだなと、改めて後方スタートの影響を思い知りました。何故か右の腰から脚にかけての痛みは消えていましたので、左脚が右の分まで疲労のほとんどを背負い込んでくれていたようです。
そして!尿意っ!スタート15分前からずーっと42キロ感じていました。まるでお守りのように私に寄り添ってくれた尿意に愛着すら感じていましたが、止まった瞬間に我慢の限界がやってきました。早くトレイに行きたいのですが、左脚が痛くて早く歩けません。完走タオル、完走メダル、アミノバリューカロリーメイト、ゴミ袋、完走証と順に受け取りながら、募る放出願望。さらに荷物受け取りまでが長い!何せGブロックですからね。Gってほんまに、とことん追いやられてるな!普通は完走しただけで泣いちゃうんでしょうけど、この”尿意との旅路”が不思議とコミカルな思い出にしてしまいましたね。
しかし、最後に殺られました。荷物渡しで待機する多くの大学生か高校生?のみんなが、拍手しながら”おめでとうございますっ!”と口々に声を掛けてくれるのです。そういう若者に涙腺ぶっちぎられるのを防御できるほどおっさんは神経太くありません。激しい尿意を照れ笑いと涙が混ざった変な顔に隠しながら、ゆっくりと歩き、荷物を受け取り、足を引きずって更衣室前のトイレに逃げ込んだのでした。





速報のラップタイムラップにもネットタイムが出ていて解り易いです。前半のアップダウンで脚が温まって、中盤24分台のラップが2つ出ています。調子が良かったとも言えるし、後半に備えて我慢できなかったとも言えますね。最後28分台に落ちましたが、それでも予想以上粘れたと思います。




スプリットの変遷数字だけ見ていると、Gブロックスタートの影響はあまり無かったように見えますが、上述の通り、数字には現れない多くの弊害が潜んでいるのです。この経験は次のチャンスに活きると思います。前半から無理なく4分台を並べられたら、後半少々落としてもサブ3.5は夢ではないと思えます。そして最後の登り区間を全て5分台でカバーできたのは、普段の練習コースの辛さが活きたものと思われます。初フルなんて絶対7分台とか叩いちゃうんだろうなと考えていたので、正直出来過ぎです。




ギアと補給食の選択これは成功だったと言えるでしょう。まずはギア。上半身が、SKINSの冬用長袖にRaphaのトレーニングジャージ。バイクジャージの人は何人も見ましたが、皆さん腰のポケットが暴れまくってました。それを避けるために奮発したジャージです。最高にコンビニエントなジャージ!これだけの補給食に100ミリフラスク3本入れても、全くストレスありませんでした。手袋はRLで左手首にはウォッチ用の穴あき。下半身は、CW-Xレボリューションにadizeroのランパン。そしてRLソックスにadizero JAPAN BOOST 3。インソールには硬めのsuperfeet。BOOSTの柔らかさが体幹の疲れを増す、それが初めて履いた際の感触でしたが、硬めのsuperfeetを入れたらBOOSTの柔らかさ=反発力が活かせるようになりました。ソックスの中、前足部から足首にかけてはしっかりテーピングも。4日前に知って2日前に届いてぶっつけで使用したCHRIO HOTGELも効きました。しっかり燃えるのにスポーツバルムのようにべとつかないので、塗った上からテーピングできるんです。これは凄いです。でもちょっと高いです。
そして補給食。100%足攣るだろうと、何を口に入れても、どれだけ給水してもどうしたって足は攣るだろうと覚悟してましたが、何と攣りませんでした。体調なのか、補給食なのか、総合的にうまく噛み合ったのだと思いますが、補給食はこんなラインナップ。口に入れた順番に(おにぎりとかバナナとか朝ごはん系は別として、サプリメントの範疇を羅列)。
スタート前:グリコOXYUP6錠 → VESPA HYPER  
走行中:MEDALIST ENERGY GEL → 井村屋スポーツ羊羹 → Mag-on GEL → Meitan CCCゴールド → Mag-on 顆粒 → Meitan 2RUN → Meitan 2RUN → Mag-on GEL
フラスク3本には、CSPP1とMag-on顆粒を水で溶いたもの。
とにかく20キロまでは給水、補給には寄らない作戦でした。案の定、補給所のそこここで、”何やってんだこいつら?”的な危険な行為をたくさん目にしました。20キロ以降も手持ちのサプリと給水所のできるだけ奥のテーブルの水で走り切りました。色々な食べ物が美味しそうでしたが、そこはもう我慢というか、練習の成果をきっちり出すため、色んな意味で”楽しむ”という状況を排除したかったので後悔はありません。やはり見ていて危険が多すぎです、マンモス大会の補給所は。余談ですが、前夜奈良の美酒『白滴』720ml1本一人で飲み干したのは内緒ですぅ。
これ美味すぎて止まらないのでスゥ。




無事に尿意解放後、あちこち痛む身体をゆっくり動かし着替え、おもてなし広場ヘ上がって、生ビールに鶏塩ラーメン。これが美味かった!鶏塩というのが、まさに激しい運動後にぴったり。たくさんのお店が出ていて、もっと他にも食べたかったけど、家族が外で待ってるので早々に退出。本番を完走して夜は焼肉に行くのを楽しみに練習してきましたが、一旦帰宅したらもう動く気になれず、結局家で家内手製の鰻丼と赤身の焼肉でゆっくり打ち上げました。やっぱり家がいいですね。家内と息子には感謝です。寒い中あっち行きこっち行きして応援してくれて有り難いです。もちろん姉と甥っ子にも感謝。スピード落ちたなぁどうしようっと悩んでいる時って、ローギアに入れて走り方を変えることになかなか気が付ません。今回は登りの始まりに家族がいたことで、普段の、”後半登りで粘る走法”に切り替えることができたのが大きかったと思います。


尿意とマラソンの関係に新たな知見を与えてくれたS藤君に感謝です。しつこいようですが、あの助言がなければ100%トイレに立ち寄ってタイムロスしていたと思います。ありがとう。
いつも整体と加圧トレでお世話になっているU京まさき整骨院のY岡先生にも感謝です。頚椎椎間板ヘルニアでどうにもならなくなった私が、バイクでツール・ド・おきなわに出たり、マラソンを完走できるようになったのは整骨院の皆さんとY岡先生のお陰です。マラソンの先輩でもありまして、今回もワラーチで軽々サブ4で走られました。しかもトイレ行ってですから凄いです。ワラーチでサブ4って、普通に靴履いたらサブ3くらいになるんじゃないでしょうか。
そして一番苦しいところで元気をくれたあしやん夫妻に感謝です。基礎体力で遥かに私の上を行くあしやんは、年齢が近いこともあり、常に目標でありライバルです。焼肉を物凄い勢いで食べる姿を思い出すと、到底勝ち目はないと思いますが、なんとか付いていきたいと思います。


FB他で声援を頂いたみんさんにもありがとうございました。
今後とも叱咤激励をよろしくお願いいたします。


この経験は体力よりも、心の持久力に影響が出ると思います。きっと仕事にも役に立つでしょう。




さぁ、次は3月、本命(笑)の城陽ラソン10キロです。目標は表彰状ではなく、表彰台です。
10キロなら最初から全力で走れそうです。